スピーチ日本語訳の全文
皆さん、いきなりですが、自分が好きですか?
私はかつて真っ先に「NO」と答える人間でした。
沢山、劣等感を抱え人間関係が苦手でした。
だからこそ、そんな私を変えてくれた人たちとの出逢いを皆さんにシェアさせていただきたいと思います。
私はNGOのスタッフとして働く中で、災害や紛争現場で懸命に生きる人々から、生きるうえで大切な「4つの力」を学びました。
①1つ目は「与える力。」です。
2004年に日本で中越地震が起こり、土砂崩れで多くの家が破壊され、最大約10万人が避難所で暮らす事態となりました。
私はある日、家を失くされたお婆ちゃんに「何か困った事はないですか?」とお聞きしました。
すると彼女はバッグから何かを取り出し私に手渡します。それは小さなウサギのマスコットでした。
「この避難所にいるとボランティアの方から沢山の物資を貰います。
でも家を失くした私はお返しする物がない。
だから布を見つけてはこれを縫って差し上げているの。」
一瞬にして、家や持ち物を全て失った直後にいながら、
その女性は「誰かに与える事」を忘れていませんでした。
そして彼女はいつも「ありがとう」と笑っていました。
彼女のバッグにはいつも沢山の手縫いのウサギが入っていました。
②2つ目は「分け合う力。」です。
戦時下のアフガニスタンで家を失くし、その日の食糧も持たない子供たちに支援物資を配った時、食料をその場で開封する子は、誰一人いませんでした。
皆大事そうに抱えて家族の元に走って持ち帰ります。
そして家族みんなで分け合っていました。
また、現地では地球温暖化の影響といわれる旱魃被害で井戸水が枯渇しかけていました。
ある長老の要請を受け、私達NGOのスタッフが彼の村に視察に行きました。
村の井戸水はどこも枯渇寸前でしたが、日本から持参した寄付金は、既に別の支援先で使いきった後で、何もしてあげる事ができませんでした。
彼らは取り乱す事なく訪問の礼を述べ、貴重な水分補給源である、メロンの一種・”ハルブザ”と呼ばれる果物を、私達に振る舞いました。
それも一番良い部分をふんだんに。
「その場にいる全員で分け合う。」
彼らの尊い姿勢を、私は涙をこらえながら心に刻みました。
③3つ目は「信じる力。」です。
戦時下や災害現場で、見知らぬ私に飛び切りの笑顔で笑いかけてくれる子供達がいます。
彼らの笑顔は、どんなに過酷な戦場でも奪う事のできない「人間の尊厳」を思い起こさせます。
人を信じる事をやめない強さに胸が撃たれると共に、爆弾の下に置かれて良い命などないのだ、という当たり前の事を、私たちに教えてくれます。
彼らと出会い、私は不機嫌な顔をして生きてきた自分の人生を改めました。
自分の両親が不仲で争い続けていた記憶や自分のパートナーから受けた暴力等、戦時下の国で見る自分の心の傷は、とてもちっぽけに感じました。
人と笑顔で接する事をいつも心がけると、困窮していた自分の人生が、不思議と開けていきました。
④4つ目は「委ねる力。」です。
2004年に起きたスマトラ沖の津波で、最も被害が甚大と言われたインドネシアのアチェに出向きました。
約16万人が亡くなったと言われ、長年に渡る独立紛争も抱え、困難を極めていました。
そんな状況下でも、話しかけた市民全員が誰も嫌な顔を見せる事なく体験を話してくれます。
「妻も子供も全員亡くなりました。でも村のみんながいるから私は大丈夫です」と。
海岸の建物は全て流され、奇跡的に唯一残されたモスクの中で、人々は祈っていました。
そこの宗教指導者は、こう話しました。
「私達は今回の津波を、より良いコミュニティーを新たに作るチャレンジと捉えています。
もしここに他の宗教があったとしても、きっと同じような事を言うのではないでしょうか?」
大きな神の意図に命を委ね、力を合わせて日々を生きようとする人々の尊さに、私は【委ねる力】を教わりました。
さて、上記の4つ力を実際に使い始めた私に、何が起こったでしょう?
見知らぬ場所から講演会のオファーが来るようになり、支援金が集まり、映画を製作するという夢が叶いました。
誰かの為に行動し続ける人々を見習い、彼らの行動を真似し続ける内に、気付けば自分をサポートしてくれる方々に恵まれていたのです。
「自分は何の才能もない」とひきこもっていた過去の自分に今声をかけてあげられるなら、「自分を信じて最初の一歩を行動しよう!」と言います。
「命が全てにおいて第一優先です。」
あなたは(大切な)世界の一部です。
あなたは世界と繋がっています。
世界にはあなたの力を待っている人が必ずいます。
あなたには大きな力があります。
ありがとうございました。